月見草日記
自分の興味のおもむくままに書いていきます

こぎん刺しの歴史のレクチャー

  一昨日、神保町のアートブックショップのabcギャラリーでこぎん刺しのレクチャ

ーがあるので行ってきました。電車の中や街で、袴姿の女子大生を何人も見か

けました。大学の卒業式は遅いのですね。


 弘前こぎん研究所の所長の成田貞治さんのこぎん刺しの歴史のレクチャーで

す。

  詳しい内容、写真はこちら→青森の手仕事展 始まりました


 『津軽こぎんと刺し子―はたらき着は美しい (INAX BOOKLET)』で歴史のこ

とが書いてあるので、少しは知っていましたが、成田貞治さんのレクチャーを聞い

て理解が深まった所を自分の備忘録として記載しておきます。

  ①1788年(天明8年)平野文蔵貞彦の『奥民図彙』に載っている図からすると
    当時のこぎん刺しは横長なので偶数刺しだったと思われる。その後の60年
    位の間で津軽のこぎん刺しは奇数刺しになったようだ。丈夫なのは偶数刺
    し。目をつぶすには奇数の方がよい。
    また只の地刺しから模様が出来上がるには記録から(1788-1685藩庁
    日記)百数年かかったことになる。  

  ②1791(寛政3年)弘前手織りが下級武士家内業として始まり、京都から綿糸
    を買ってやらせたので農家にも綿糸が手に入るようになり、麻の布に綿の糸
    で刺すようになってきた。

  ③津軽とアイヌは何らかの交流があるようで、アイヌの晴れ着は曲線、アップリ
    ケと津軽のとは異なるが、左右対称、色合い、まじないがある点は似ている。


 昭和7年に柳宗悦(やなぎむねよし)が工芸14号で「こぎん」を紹介した文章は名

文だから家でじっくり読むといいと資料として渡されました。

 そのコピーより抜粋

     凡ての模写は経緯の糸で決定される。刺す者はその布目に忠順である。
    はづせばもう「こぎん」ではなく、只の刺繍である。経緯の糸条は法則であ
    る。法に従へばこそ「こぎん」の模様がある。それは数的秩序である。数を
    乱せば模様は乱れる。数に従へばそのまま模様である。どう目を拾うとも
    数が合へば美は整ふ。数が模様の母である。・・・・(略)・・・・
    数と美とは結び合ふ。
    ・・・・・(略)・・・・・
    その美しさは用に発し法に根ざしてゐる。「こぎん」は健全な「こぎん」であ
    る。健全な美しさがあれば、工芸の工芸である。
      名もない津軽の女達よ、よく是程のものを遺してくれた。麻と木綿とは
    絹の使用を禁じられた土民の布であった。だがその虐げられた禁制の中で
    是程美くしいものを産んでくれた。それを幸な不幸と云はうか、又は不幸な
    幸と呼ばうか。人々は生活に即して、ものを美しくしたのである。之こそは
    工芸の歩む道ではないか。・・・・・(略)・・・・

 目黒区の駒場にある日本民芸館は1936年(昭和11年)に開設されましたが、初

代の館長は柳宗悦さんなのですね。家に帰ってから調べました。


 成田貞治さんのレクチャーでは「カチャラズ」のいわれを教えていただいたり、弘

前こぎん研究所の歴史、今の活動状況なども説明してくださりました。こぎん刺し

を伝えていこうとする気持ちが伝わります。20cm位の幅の藍の麻布に刺された

見本帳も見せていただきました。弘前に行く機会があればぜひとも弘前こぎん研

究所に立ち寄りたいと思います。








 
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Comment

けいさん
教えてくださってどうもありがとうございます。
禁止ワードは今は何もついていないはずなのに
なぜかついていました。
禁止ワードはもういじっていないのに・・・・。
ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
2009.03.28 20:54 | URL | 月見草 #H6hNXAII [edit]
こんばんは!

パソコンからは禁止ワードが入っていてコメントできません。携帯から出来ればいいのですが…

一応 送信してみます!
2009.03.28 19:43 | URL | けい #- [edit]

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