月見草日記
自分の興味のおもむくままに書いていきます

八百屋お七の史跡と目赤不動

 白山神社であじさいを見た後はこの辺りを散策しました。 

中山道ウォーキングで、キセルしたのも今の時期に八百屋お七関連の

史跡散歩をしたいからです。


八百屋お七 墓
円乗寺の八百屋お七の墓 

お七の生家は駒込片町で有数の八百屋でした。

天和2年(1682年)、近くの大円寺出火で家が焼け、菩提寺の円乗寺に

避難しました。やがて再建された家に戻りましたが、恋仲になった円乗寺

の小姓山田佐兵衛に会いたい一心で付け火をしました。放火の大罪で捕

らえられたお七は鈴ヶ森で火炙りの刑にされました。墓は3基あり、中央は

寺の住職が供養に建てたもので最も古く、右側は寛政期に歌舞伎の岩井

半四郎がお七を演じた縁で建立、左側は近所の人が270回忌法要のため

に建てたものです。

ほうろく地蔵 1   ほうろく地蔵 2

            大円寺のほうろく地蔵

大円寺は八百屋お七の火事の火元です。

ほうろく地蔵は火炙りの刑を受けたお七を供養するために建立されました。

寺の由緒書によると、お七の罪を救うために、熱した焙烙(素焼きの平たい

土鍋)を頭にかぶり、自ら焦熱の苦しみを受けた地蔵尊とされています。



吉祥寺 山門   吉祥寺 経蔵

吉祥寺 

お七の家が焼けた際の避難先は円乗寺ですが、吉祥寺という説もあったため、

お七と吉三(佐兵衛)の比翼塚があります。

 吉祥寺は、太田道灌が江戸城築城の際、井戸を掘ると「吉祥増上」の刻印が

出てきたため、現在の和田倉門のあたりに「吉祥庵」を建てたのが始まりとい

われています。徳川家康時代の現在の水道橋際に移り、明暦の大火(明暦3年、

1657年)で焼失し、現在地に移転しました。関東における曹洞宗の宗門随一

の栴檀林(修行所)がおかれ多くの学僧が学びました。駒澤大学の前身です。


  中央線の吉祥寺は万治2年(1659年)水道橋の吉祥寺門前町から住んでい

た人たちが移住し、五日市街道沿いに短冊状に与えられた原野を開発して作ら

れたものです。


 吉祥寺を出た後、近所の地図に目赤不動が載っていたので、ついでに立ち寄

ることにして歩きだしました。その時ごみ収集車が横転するのに遭遇したわけ

です。

 
 五色不動は江戸鎮護のために置かれたといわれています。青、白、赤、黒、

黄は密教で東西南北と中央を表すとされています。目白不動、目黒不動は有名

ですね。

南谷寺(なんこくじ)目赤不動尊です。

目赤不動尊

南谷寺で見つけた教えが心に残ったのでそのままアップします。

 つもりちがい十条

長者十訓



関連記事
スポンサーサイト

Comment

Koholaさん
おはようございます。
八百屋お七の話、どこで観たのか忘れましたが
印象に残っています。
富士神社にも行けばよかったとあとから
思いました。この辺りは史跡がたくさんです。
谷根千もじっくりウォーキングしたいですね。

つもりちがい十条、面白いですね。
一つ一つに納得です。
2010.06.15 07:30 | URL | 月見草 #H6hNXAII [edit]
八百屋お七の話は本当に有名ですよね。劇的な事件だったからかな。私も歌舞伎だったか舞踊で観ました。
八百屋お七の話や吉祥寺の話など、歴史の勉強にもなりました!(*^o^*)
お寺の教訓は、とても深いですね…完璧な人間にはなれないけれど、実行したい教訓ばかりです!
2010.06.14 23:14 | URL | Kohola #- [edit]

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:http://otogizoushi200.blog87.fc2.com/tb.php/273-cf252feb