野見宿禰神社

5月12日に稀勢の里が野見宿禰神社に奉納土俵入りしたというTVを見て3月にすみだ北斎

美術館、そして野見宿禰神社に行ったことを思い出しました。

 最近期せずしてパソコンを新しくしたばかりなので、引っ越し途中ですがこの写真をupできて

うれしいです。(写真はクリックすると大きくなります。)

    すみだ北斎美術館
 すみだ北斎美術館
 この辺りは津軽家上屋敷跡だそうです。

相撲の始祖とされる野見宿禰(のみのすくね)を祭る野見宿禰神社

野見宿禰神社 1

野見宿禰神社 7

野見宿禰神社 2

野見宿禰神社 5

野見宿禰神社 3

 歴代の横綱の名前が彫られています。

野見宿禰神社 6

野見宿禰神社 4
 この日は3月8日でしたが2月28日に石工さんが稀勢の里の名前を彫ってきたそうです。
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向島から浅草へ

 西日本を中心に大雨の被害が出ていてお見舞い申し上げます。

こちらも梅雨でしかも大雨が降るかもしれないという天気予報でしたが

予定通り出かけました。


 梅若伝説の木母寺などのある鐘ヶ淵は次回にすることにし、今回は東向島が

出発点です。雨の中、向島百花園を散策。

江戸時代、佐原鞠塢(さはらきくう)が文人たちの協力を得てつくった庭です。

園内には文人墨客たちの歌碑や石碑がたくさんありましたが下調べをしないとよく

読めないので残念ながら素通りです。

向島百花園 1
 
ききょうがすでに咲いていました。

百花園の名称が定着する以前「秋芳園」と呼んでいたことこともあるほど

鞠塢は秋の七草に着目していました。仙台出身の鞠塢は故郷をしのんで萩を

植えたのでしょうね。余談ながら仙台銘菓「萩の月」が売りだされたのは昭和

54年でした。


 食事のあと雨も止んだので白鬚神社へ。

白鬚神社
                
       ( 撮影は以前のもの )

ちょっと低い所にあるので、大雨だと雨が流れ込むのではと心配していましたが

大丈夫でした。堤防をかさ上げしているうちに神社が低くなってしまったのでしょうか。

天暦5年(951年)に慈恵大師が関東に下った時近江国の白鬚大明神の御分霊を
 
この地に祀ったと伝えられています。御祭神は猿田彦大神。

 旧寺島町にあたる「東向島、墨田、堤通、京島、八広、押上」地区の氏神さま。

隅田川七福神のひとつで寿老神(ふつうは寿老人で神の字をつかうのはここだけ)

が祀られています。

6月30日の大祓のお知らせがあちこちに貼られていました。


 そのあとは長命寺の桜もちを求めて幼稚園の周りをうろうろ。

川沿いの道に面していることがわかり無事買い求められました。


 次は三囲(みめぐり)神社へ。弘法大師が祀ったという田中稲荷が始まりと

されています。現在よりも北の田んぼの中でした。文和年間(1352~56)に

近江の三井寺の僧である源慶が社を改築した時、土中から白狐にまたがる

老翁の像を発見。その像の周りをどこからともなく現れた白狐が3周して去っ

たという縁起から三囲(みめぐり)の名がつけられました。

三囲神社
     (撮影は以前のもの)

今まであがっていた雨がまた降りだしました。ここは雨乞いに縁のある神社だ

からでしょうか。元禄6年(1693)江戸が大日照りになった時、雨乞いをしても

なかなか雨が降らなかったのに通りかかった宝井其角が「夕立や田をみめぐり

の神ならば」と一句詠んだところ翌日雨が降ったといわれています。

 三井家は江戸進出時にその名にあやかって三囲神社を守護神とし、

以来、深い関係があります。平成21(2009)年旧三越池袋店からシンボル

だった青銅製のライオン像が境内に移設されています。

 三井邸より移した三角石鳥居もありました。(原形は京都太秦・木島神社に

ある)と説明がありました。残念ながら写真を撮り忘れてしまいました。

三つ穴灯篭も珍しいそうです。

 今は見番通りからが参道になっていますが江戸時代の頃は川沿いの鳥居から

入ることができ、お参りできました。

 
 雨宿りも兼ねてすみだ郷土文化資料館へ。

7月31日まで 「すみだの開発ー向島の開発と本所開拓ー」を

やっています。「ブラタモリ」が喜びそうな内容です。

隅田川と中川に挟まれて向島や本所地域は、全体として土地が北西から南東に

傾斜していてそれを前提に用水の供給をしたことや三囲神社の近くで隅田川の

水を圦樋(いりひ)によって導き入れ、耕地の灌漑に用いていたことなど興味深かっ

たです。


 資料館を出ると雨はやみ、牛嶋神社へ。

牛嶋神社
 大きな鳥居の脇にまた鳥居があり三輪鳥居(みわとりい)という珍しい鳥居に

なっています。奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)の鳥居の形から付けられた

名前だそうです。

もとは長命寺の近くにあったのが関東大震災後に現地に再建されたものです。

歴史は古く、平安時代の貞観2(860)年慈覚大師が建立されたと伝えられてい

ます。




牛嶋神社 3
       (クリックすると大きくなります。)

勝海舟像

墨田区役所裏の勝海舟像をみて吾妻橋を渡って浅草駅へ。



 

深川から門前仲町へ  その1

 お天気が心配な日、最初の予定を変更して清澄白河からスタートしました。

最初は霊厳寺(れいがんじ)へ。

 寛政の改革で有名な松平定信の墓所があります。

霊厳寺 1

松平定信は吉宗の孫 後三卿 田安宗武の七男で

陸奥国白河藩主松平定邦の養子となり、のち藩主、そして田沼意次失脚後老中と

なった人です。柵がしてあって中に入れなく、お墓がたくさんあってどれが定信の

お墓かその場では確信できませんでした。やはり正面のようです。

倹約を旨としていたので、地味なのかもしれません。

 松平定信の号 白河楽翁にちなんでこの辺りが白河町と町名がつけられたのは

昭和に入ってからのことです。



そしてこれは江戸六地蔵の一つ銅造地蔵菩薩坐像

霊厳寺 2

説明によると

江戸深川の地蔵坊正元が不治の病にかかり病気平癒を両親とともに

地蔵菩薩に祈願したところ無事治療したことから京都の大地蔵に倣って

宝永三年(1706)造立の願を発し人々の浄財を集め江戸市中六か所

に地蔵菩薩をそれぞれ一軀ずつ造立したと伝えられています。」

江戸六地蔵めぐりのうち6番永代寺は廃仏毀釈で現存せず。

これは享保二年(1717)に造立した5番目の地蔵菩薩坐像です。

 一番目の品川寺(ほんせんじ)の六地蔵はこのブログでもupしていました。

   品川寺の六地蔵のブログはこちら → 旧東海道ウォーキング

 霊厳寺の次は隣の深川江戸資料館へ

庶民が住む深川の江戸時代の町や暮らしを体験できます。

福島からの中学生(男子)の修学旅行の班行動のグループに対するガイドを

聞きながら見学。

深川江戸資料館 1

 亀戸大根。昔は大根足というと細い足という褒め言葉だったとか

深川江戸資料館 2

 船宿前の猪牙。中学生の前なので説明はさらっと…。

深川江戸資料館 3

深川江戸資料館 4

リアルなエビの天ぷら。中学生もお気に入り。

深川江戸資料館 5

  木挽職人の住まい 正面には大きな鋸。

大鋸屑(おがくず)のは大鋸で材木を切る時にできる屑と聞いて納得。


 昼食は近くの店で深川めしを食べました。漁師のぶっかけと木挽き職人の

深川めしの味比べ。

 台湾から一人旅をしているという女性と相席になりました。

親日家で、日本への旅行は今回4回目。今回は6日間の予定で明日帰国とのこと。

台湾の地震の時の日本からの義捐金のお礼を言われました。


  地震のことを思い出し、ブログをupしようとしているうちに熊本での大地震。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに被害に遭われた方々に対し

心よりお見舞い申しあげます。

tag : 江戸

両国散策 忠臣蔵編

 両国散策 相撲編のあと他のことをしていて更新するのが遅くなりました。

今回は忠臣蔵編です。回向院の後、両国橋へ向かいました。

 両国橋 1

 両国橋 2

 初めて両国橋が架けられたのは万治2年(1659)。その2年前に明暦の大火が

発生し当時は隅田川に橋が架かっていなかったので多くの人が逃げ場を失い、焼死

者が出たためです。武蔵国と下総国を結ぶことから両国橋と呼ばれました。

両国橋東西の橋詰が火除地として広小路が設けられ、この界隈は江戸有数の繁華街に

なりました。

 今は児童遊園の敷地内に赤穂義士の一人の大高源五の碑があります。

 大高源五の碑

「日の恩や 忽ちくだく 厚氷」

大高源五は俳句や茶の湯をたしなみ、吉良上野介宅で茶会が開かれる日を

突き止め討ち入りの日を決める重要な情報となったそうです。


 元禄15年(1702)12月14日 赤穂の四十七士が討ち入りした吉良邸跡

「忠臣蔵」で知られる舞台です。

2550坪の広大な吉良家上屋敷でしたがごく一部が吉良邸跡(本所松坂町公園)

として残されています。

 吉良邸跡 1

 吉良邸跡 2

 吉良邸跡 3
          吉良上野介義央公座像

 吉良邸跡 4
    討ち取った吉良公のみしるしを洗ったとされる井戸

 吉良邸跡 5

 両国橋のたもとで奉行の役目上の渡橋拒否にあい、両国橋は渡らず一之橋、永代橋を

渡って泉岳寺に引き揚げたとされています。

両国散策 相撲編

 久しぶりの江戸散歩。

初心にかえり両国界隈を散策、江戸東京博物館を見学しました。

以前は他のところを見た帰りに回向院に寄ったのですが、今回は両国から

スタートです。

 
 回向院へ行く途中、お相撲さんが出迎えてくれます。

両国 1

両国 2

両国 3

 お気に入りの力士の手形を探すのも楽しみの一つです。
 

 回向院に着きました。

両国 4

回向院は明暦の大火(1657)で焼失した無縁仏の供養のために建立された

寺です。歴代相撲年寄りを祀る力塚や鼠小僧次郎吉の墓もあります。

両国 5
           力塚

「両国にぎわいマップ」の表紙で錦絵が使われ、解説もありました。
両国ガイドMAPより

両国 6
        鼠小僧次郎吉の墓

今の時期、お相撲さん達は大阪に行っていて留守ですが幾つか相撲部屋を

廻りました。

両国 7
春日野部屋の力士は栃煌山、栃ノ心、碧山

両国 8
井筒部屋の力士は鶴竜

両国 9
時津風部屋は豊ノ島

両国界隈の相撲部屋巡りをしていたらそれだけで1日が終わりそうです。

相撲博物館に入りました。東京場所中は国技館入場者のみ入館できます。

出入口で遠藤による御姫様(?)抱っこの写真の写真を撮りました。

両国 10


tag : 江戸

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